スマホ依存症が充電を忘れると悲惨
スマホの充電が無くなると非常に困る。
ブログ生活に支障をきたしてしまうわけ。以前記事にも書いたけど、今のブログ生活はスマホで成り立ってるところが非常に大きいのです。
「充電ゼロ」という名の恐怖を回避するためにかなり予防線を張ってる。充電に振り回されてるってことも自覚してます。致し方ない。現代病でしょう。(スマホ依存症?)
夜、寝る前は必ず充電して、朝はフル充電で新しい日を迎え撃つ。これは基本の「き」
さらに自分はその一歩先を見据えてる。スマホ用の「携帯充電器」を常備しているのです。
愛用してる「iPhone 6s Plus」は、かれこれ1年半くらい使い倒してるからか充電の減りがめっぽう早い。
電車でブログサーフィンしたりブログを書いたりしてると出社する頃には「残り55%」なんて表示される。夕方には1桁台に突入するなんてこともザラ。
そこで登場するのが携帯充電器という救世主です。
もう僕はキミがないと生きていけない体になってしまったんだよ。
この相棒を手に入れたのは、2013年のフジロックフェスティバルに初めて参加することが決まった時。「テント生活の必需品だぞ」と助言をくれた先人の教えに従って購入したものです。
今やかなり旧型の様相だけど、なによりヘビー級の重みが安心感を与えてくれる。まだまだ現役です。
文庫「燃えよ剣(上)」と比較してもこの存在感を放つ。カバンの中でさえも専用スペースが与えられるほどの重鎮として、そのポジションは固く守られてます。
幾多の戦いから何ヶ所も傷を負ってるんだけど、当の本人は「勲章ですから」と謙遜してみせる。可愛いヤツだ。
その骨太さでいえば、495ページを誇る「燃えよ剣(上)」を超えてしまうし、重量は文庫本3冊分にも相当する。信頼を売りにしてる商売なのだから仕方ない。
なにより、この充電器は何度となく窮地を救ってくれた。その実績から、自分がこの充電器に寄せる想いは計り知れないのです。
すれ違い
一昨日の夜は明らかに疲労が溜まってた。
ただ、疲れていても腹は減る。仕事で遅くなって家に着くと寝静まった家の中で夕飯を食べた。もう無心で食べてた気がする。
で、記憶はここまで。
どうやら、食べ終わると同時に強めの睡魔が襲ってきて、その場で寝てしまったようです。(朝まで)
目を覚ました時、「風邪ひきそう・・・」とか「食べっぱなしじゃん・・・」とか色々思うことはあったんだけど、何よりトンデモナイ状況であることに気づきました。
スマホの充電忘れてた・・・。
これは痛い。非常に困った。
でもね、この時はまだ余裕を持ってたんです。
そう。携帯充電器(相棒)を使えばいいじゃないか!って。
この安心感に気づいて、改めて相棒を愛おしく想いつつ、意気揚々と出社しました。
それで、早速電車の中で充電のセッティングをしたんだけどね、「ウン」も「スン」も言ってくれない。どうした相棒・・・。
混乱する頭で相棒の症状を確認したところ、その理由が判明しました。
充電器(相棒)の充電も無くなっていたという事実。
なるほど合点がいった。いよいよヤバイ。
充電とはなんなのか?
たかが充電。されど充電。
現代社会で「充電」が人間生活の一部となっていることは事実でしょう。充電という行為自体には何の意味を持たないけど、充電が足りてない状況は確実にストレスを生む。
事実、昨日は電池残量との戦いでした。
スマホの電池残量に目を光らせながら少しずつ使ってたけど、案の定夕方には「不動」となります。今日は救世主もいない。
帰りの電車では、みーんな軽やかにスマホを操ってる。あぁーうらやましい…。
自分のカバンに入っているのは、
- iPhone(電池切れ)
- 携帯充電器(電池切れ)
- Kindle(これも何故か電池切れ)
- Bluetoothイヤホン(充電されてるが用途なし)
のみ。
電池が切れた電子機器はただただ「重いだけ」です。
こいつらクソの役にもたたないぞ!・・・と。
いつも大変お世話になってるにも関わらず、こんな汚い言葉が何種類も脳裏をよぎる。
充電切れというのは人格まで変えてしまう。
まとめ
帰宅すると、何よりも先に彼らの充電作業を優先しました。
彼らに灯火が戻ることに安堵しながら、自分も優しい気持ちが少しずつ取り戻されてくる。
もうね、安心感がハンパない。
自分はスマホ依存じゃないと思ってたんだけど、無くなってみるとはじめて気づく。
はい。完全にスマホ依存症(重度)ですね。
特にブログはじめてからは勢いを増してる気がするなぁ。
まぁ、スマホ依存がそこまで「悪い」ってことだとは思わないけど、何かに縛られるのは癪なのでちょっと改善してみようと思ってます。
とりあえず、スマホ持たない日とか作ってみようかな〜。
ということで、今日はここまで!